私は昔から、ドラマが大好きでした。
そして、ドラマを見ていると、自分もドラマの中の主役のように感じることがよくありました。でも、年齢を重ねるにつれて、気がついたら主役の座は他の人になっていました。
この「主役の座を他の人に譲る」という感覚は、私だけではないはずです。私たちが生活を送る中で、さまざまな刺激や情報、価値観を受け取ることによって、気づかないうちに自分の主役の立場を他人に譲ってしまっているのではないでしょうか?
今日はそんな話をしてみたいと思います。
人生はドラマチック
人生はドラマチックです。人生は簡単で何の問題なく進む思っている人いますか?いたらぜひコメントください。心の底から尊敬します。
実際、人生が簡単だと感じる人は少ないでしょう。なぜなら、人生は思い通りにいかないことが多いから。
欲しいものが手に入らないこともあれば、大切な人との別れや挫折など、誰もが様々なことを抱えて悩みながら生きていますよね。
外から見れば恵まれているように見える人でも、それぞれに悩みや問題を抱えています。個々の人生は、その人にしかわからないドラマのようなものです。
そしてそれは、一人一人が人生という舞台で演じているということ。そしてそのドラマが面白いのは様々な出来事が起こるから。
主役の座を譲ってしまっていた日々
私は高校生の頃、それはそれは可愛い、魅力的な同級生に出会いました。
彼女は見た目も、歩き方も、声も、笑顔も、性格も、周りからの人気も、全てが完璧でした。まさに私の思い描いていた主役そのものだったんです。
私は彼女に魅了され、彼女のようになりたいと心から願い、彼女の振る舞いや文字などを真似しました。
でも、彼女になれるはずもない。だって私は彼女ではないのだから。
その時、私の人生の主役は彼女でした。いつも彼女に注目していたし、彼女を目標にしていたと思います。
人生の主役は誰?
高校を卒業後、その同級生とは疎遠になり、彼女は私の人生の主役からは降板しました。
しかし、その後も自分が「素敵だ」と思う人を無意識のうちに自分の人生の主役にしていたように思います。
誤解はしないで欲しいのですが、誰かを目標にしたり、憧れたりすること自体は悪いことではありません。目標にすることで、自分を鼓舞したり、モチベーションを上げることに効果があるからです。
問題は、自分を主役の座から外してしまうこと。例えば、「私はどうせ彼女みたいに素敵じゃない」「私はどうせあの人みたいに器用じゃない」「私はあの人みたいにお金持ちじゃない」。そうやって相手と自分を比べて、自分を卑下してしまうことが問題なのです。
誰かを目標にする時、自分は自分だと認め、自分らしさを否定しないということは、自分を真ん中(主役)に置いています。それに対して、目標とする相手と比べて自分を否定することは、相手を真ん中(主役)に置いて物事を考えているからに他なりません。
では、自分は自分と認めて、自分を主役の座に置いてあげるにはどうしたらいいのでしょうか。
それは、「常に自分中心で考える、自分中心でいる」ということです。私が自分を主役に戻してあげられたのは、それを実践したから。
常に自分中心でいるということは、「自己中心的」だと受け取られがちですが、そういうことではありません。自分を軸にして物事を客観的に考えるということです。
例えば、自分が思い描いている憧れの理想像と出会ったとして、その人に対して「素敵だ、羨ましい」という感覚を持ってもいいんです。でも、自分はその人にはない、魅力があるということを忘れてはいけません。その人がどれだけ恵まれていても、自分にはこんなに素敵な家族や友人がいる、料理が上手、気遣い上手、好きな仕事をしている・・・何でもいいんです。
自分だけが知る素敵な自分は絶対に存在します。そして、憧れの人の取り入れたいところをかいつまんで自分に取り入れたら、それはもう、最強に素敵な主役が出来上がりませんか?
比較するのではなく、素敵な自分に、憧れの人の素敵なところをミックスさてしまいましょう。そう、良いとこどりです。
それが、自分という主役を輝かせてあげるコツです。
人生というドラマをとことん楽しむ
よく、人生を1本の映画だと思って楽しんだほうがいいという話を聞きます。私もその通りだと思っています。
そのドラマのシナリオを作るのは他でもない自分自身、そうあなたです。
どんなもちろん予測できない事態も起こるでしょう。でも、落ち込んでうずくまっている主役より、その逆境を乗り越える主役であれば、どうでしょうか。
そう、あなたの人生はあなたのもの。あなたが作りあげる最高にエキサイティングなドラマなんです。いつか迎えるエンディングに向けて、人生というドラマを楽しんでくださいね。
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